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山北笠原部落にある温州みかんの古木で、1860年頃、故公文鉄作氏が植えたもの。山北みかんの発祥の生き証人として注目されている。国内で現存する温州みかんの中で一番長生きらしい。樹高4.0m 樹幅9.7m。 |
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土佐2代藩主山内忠義の時代、藩政を動かしていた野中兼山(1615〜1663年)は幡内の開発にも尽力しました。寛永18(1641)年から新野町(野市)の開発に着手。3年後には中井関の完成で親設水路に通
水が始まりました。 三叉は上井川の水を合理的に分水した水路で、十善寺溝・町溝・東野溝の主要3支川と原田溝・武市溝を加えた大小5つに分水しており、県下で類例のない兼山の遺構といわれています。また現在、三叉周辺では「自然と歴史にふれる道」をテーマに、ウォーキングトレイル事業が始まり、遊歩道の整備や、木製のベンチ・テーブルなどの設置、公衆トイレの建設などを順次進めています。 |
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兎田八幡宮の銅剣は、昭和34年の火災時に唯一持ち出された宝物で、絵画銅剣としては日本でただ一つのものです。銅剣に鋳込まれた絵画から、弥生時代の農耕儀礼-春の祭り・収穫の秋祭り・雨乞い・虫送り的な祭り-に使われていたのではないかと言われています。(現在は南国市の歴史民族資料館で保管) |
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森田正馬は、明治7(1874)年に、野市町の富家村兎田で生まれました。青年時代は仏教や東洋哲学に興味をもち、哲学者になりたいと考えたこともあるそうです。明治31(1898)年に東京帝国大学医科大学に入学し、わが国の精神医学の父といわれる呉秀三博士の門下に入って精神医学を専攻しました。大正8(1919)年より神経質者の家庭入院療法を行うようになり、現在「森田療法」といわれている神経衰弱及び強迫観念の療法はこの頃に確立されました。大正13(1924)年神経質の本態及び療法によって、医学博士号を受けます。森田療法の神髄は事実唯真、あるがままを受け入れることだといわれています。創見当時はあまりにも画期的なこととして容易に一般
化はされませんでしたが、治療実績と多くの門下生の実践によって次第に真価が確認され、フロイトの精神分析療法と並んで、世界的に高い評価を受けています。兎田にある生家は現在森田村塾として不登校児童の受入れを行っています。 |
香南市教育研究所適応指導教室 「森田村塾」
●アクセス
・のいち駅より車で5分
●お問い合わせ
・TEL 0887-54-0110 FAX 0887-54-5636 |
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槇牧山平等院長谷寺(しんぼくざんびょうどういんちょうこくじ)といい、臨済宗妙心寺派の末寺で、本尊は十一面
観音。 伝説によれば、神亀4年(727年)行基によって開かれ、はじめ物部村中津尾にあり、のち芸西村に移り、さらに現在地に移転してきたものといわれ、もとは吸江寺に属した。 |
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